散策は、健康を増進し、日々の生活を明るく楽しいものにする。子や孫にも迷惑かけず、高齢化社会における健康維持や認知症の予防、高齢者介護に必要な社会福祉費の合理化にも役立つ。

高齢化社会では、健康増進のための散策の奨励とそのための環境整備が必要だ。
高齢者は「歩けば体が軽くなり、生活が楽しくなる」という信念をもち、自らの健康増進のために自ら研究する意欲を持ち行動しなければならない。
公園内の植物や動物に関心を持ち、探求する精神を養えば、老齢者といえども、知の錬磨につながり、認知症の予防にも役立つ。「共生の原理」、「再生の原理」に関心を持ち、自然界の基本現象を把握し、理解し、人間社会に適用する仕組みの創造に結びつけると、人間社会の構造改革をも進展させることができ、価値ある社会の創造が可能になる。更に、ハイテクを橋渡しに、人間社会の一層の成長を図ると、高齢化社会の問題である「老後の安心」にも結びつけることが可能になる。結果、高齢者も含めて豊かな社会のエンジョイが可能になる。
今年はコロナ問題を解消し、安心できる社会にしたいものだが多くを同時に望むことは難しそうだ。まず、コロナ危機のストレスから解消する必要がある。コロナ感染の鎮静化の実現には希望が持てそうだ。焦らず着実に実績を積み上げていこう。ロシアとウクライナの戦争の終結は本年は難しいのではないか。今年は経済的不況が続き世界中の人々が生活に困ることになるだろう。
自ら進んで行う散策は最も経済的な活動である。最近の世の中は行動するたびに多額のコストがかかる仕組みになっている。人もそれに慣れてコストをかけないと行動ができないと考えるようになってしまった。最小の入力で最大の効果を得るのが経済活動の基本原則である。自分の体内に蓄積されているエネルギー源を活用できれば経済的に行動が可能になる。
日本では、経済再生と社会の構造改革を併行して推進する行動が必要だが、今年始めても、少なくとも今後3~5年の歳月をかけて進むことになるだろう。将来の日本社会を考えると、ここでも着実に進める必要がある。

後期高齢者になって10年以上が過ぎた。自覚できた一つのことは「ネガチブな考え方に陥らないこと」である。老いれば必ず衰える。若いときに比べれば、老化を意識してネガチブな考え方になりやすい。これは当然のことであるが、自分なりの範囲を定義し直し、その範囲で限定して考えると、ネガチブでなくポジチブに考えられることが多くなるはずだ。

人生で一つでも多くのことを達成するためには、自分の行動範囲を自分で限定しながら常にポジチブな考え方を維持し、少しずつ範囲を広げていく行動を続けることが、年齢に関係なく重要であると考えている。
同じ場所に、毎年咲く公園の花の命は数日から数週間のものが多い。気象条件の変動に合わせて、自分たちが咲き誇れる限られた期間に、それぞれ素晴らしい花を咲かせる。一定の期間が過ぎると瞬く間に、その場所に咲き誇っていなかったように消えていく。油断すると、素晴らしい写真を撮影することもできないことがある。
しかし、一年の歳月が過ぎると、同じような場所に同じような美しい花を再び咲かせて生命を謳歌してくれる。いつの間にか、毎年その花をその場所で鑑賞できることが楽しくなってくる。草花はその場所に咲いていない長い期間も次に咲き誇るための準備を、土の中で続けているのだと考えると素晴らしい再生のための行動だと言える。この持続性の努力が必要である。
毎日のように公園に通い続けていると、同じ花に何らかの絆を感じるようになる。去年の花と今年の花は「同じ花なのだろか、違った花なのだろうか」気になる。年々、同じ場所に咲く花はその種族の持続性のあらわれなのであろう。小さな花も自然の持続性に貢献しているのであろう。素晴らしいことである。
人の社会でも、高齢者は積極的に社会のリーダ的役割を若者に譲り、一歩下がって、若者に協力して自らの経験を生かして、21世紀にふさわしい日本社会の改革を若者と共に進めるべきだ。社会基盤の強化が進めば人々は安心して暮らせるようになり、幸せを感じるようになる。そうなれば、日本が再び世界をリードできる国になる。
若い有能なリーダーの元にすべての国民が協力できる社会が生まれると、その中の高齢者も「高齢者の支えがあって初めて人間社会は健全な進歩を成し遂げることができる」という自覚を持つことができるようになる。
「高齢者の知恵」と「若者の斬新さと逞しいエネルギー」を活用した社会改革を進めたいものだ。
10年後には、人生110年、120年時代が訪れるかもしれない。時代の変化に遅れないように努力が必要。

「人生100年の時代、高齢者も健康増進とハイテクに挑戦、コロナに打ち勝ち、新しい時代を求めて行動」
- パンデミックは危機的な状態を脱したように見えるが、感染に関する情報が全く報道されないためよくわからなくなっている。巷の情報を聴き集めると、9月に入って感染者数は増加しているようだ。変異株はEG.5に進化し、再び肺炎が悪化する症状を伴うものに変異してきているらしい。しかし、政府の発信として庶民に注意を喚起するレベルまでには至っていない。庶民に知らせない方が社会的に安全であり、経済再生を進めることが可能だといった身勝手な解釈で政府は対応しているのかもしれない。困ったものである。
- 散策行動も昨年度よりは活発になっている。今年は再び200万歩越の記録が達成できそうだ。これからインフルエンザの流行期に入っていくが感染に注意しながら散策行動を続けていきたい。散策すればデータ収集活動が実行され、動画作成も進むことになる。心身ともに健康になる条件が整っていく。
- 今年は気温の変化は急すぎる。真夏から秋を飛ばして初冬も飛ばして真冬が間近に接近しているようだ。しかし、今年の冬季の気温は例年よりも高いと報じられている。ということは気温変化の激しい冬になるということかもしれない。物価の高騰も激しい。賃金が物価に追いつかない状態が続く。生活の不安定化、経済変化の激しさに耐えることが困難な状態になる。すべての面で我々の周辺の状態が安定しがたい状態になるようだ。このようなときは、自分の周辺をしっかりと固め環境に翻弄されない行動が重要になる。
- 中東で新しい戦争が始まった。東欧ではロシアは意味のない戦いをいつまで続けるのだろうか。世界の人達を巻き添えにして自分たちも滅亡の道を進んでいるのが分からないらしい。指導者の妄想と大衆の迎合的な行動が多くの人々に不幸をもたらす結果になることが、歴史的に分かっているのにそれに気づかない。気づこうともしない。人間の愚かな一面の現れだろうか。悲しいことである。
- 世界も日本も、やがて、複雑な環境に慣れてしまって何も考えないで安心してしまうことになるのだろう。10年、20年先になって、どうしてこのような環境になってしまったのであろうかと振り返っても、どうすることもできない事態になっている可能性がある。まるで平成30年間に日本人が経験した不幸な経験を、世界の国々や令和の時代の日本が再び経験することになる。次の時代に繰り返す可能性を否定することができない。人の社会は次第に不幸のどん底に沈んでいくのであろう。心配である。
- 地球環境問題の変化がそのことを我々に教えくれている。今年の夏の気温は例年よりも高い。冷房なしでは息苦しくなりこの世の最後を感じる日もあった。地球温暖化の問題は今始まったことではない。そのことに気づきながら適切な対策を実行できずにここまで進めてしまった罰である。線状降水帯の発生は水害をもたらしている。ハワイの山火事は住宅地を焦土と化し多くの死者を出した。同じような火災は世界中で発生している。日本でも同じような災害が発生する可能性がある。木造建築の住宅が三方火の海で囲まれた光景を思い浮かべると恐ろしくなってくる。
パンデミックや地球温暖化問題などの発生は、地球上のあらゆることがうまく機能しないように動かしていく。自然現象だけではない、社会を支配している指導者の立場もうまく機能しないように動く。東欧の国ロシアでは身の危険を感じたプーチンはウクライナへの侵略を進め国内での支持率を高める策に出た。パンデミックの焦りから実行した侵略は計画通りに進行しない。過去の事例から判断しても成功する確率は0に近い。100年前の考え方で実行した21世紀の戦争は100%失敗する。プーチンの妄想がロシアや世界を悲劇に導く。
- 20世紀初頭の日本帝国の戦争もそうだった。大東亜共栄圏を夢見た日本帝国は、中国、東南アジアへの侵略を始め、第2次世界戦争に突入した。結果は、1945年の日本の敗戦で終わり、日本国民は戦後復興に30年以上の苦難を経験することになった。この時、欧米の植民地であったアジアの諸国は欧米の支配から解放されて国家として独立した。これらの国々が現在東南アジアに広がる国々である。
- しかし、我々の身近で起きた20世紀の歴史的事実を身をもって認識できる人が少なくなってきている。社会の指導者も、政界のの指導者も、経済界の指導者もその真実を認識できなくなっている。日本の戦後の社会の急速な成長と豊かさの増大は、古い時代から続いていたかのような錯覚を感じさせるほど急激に進み、多くの人々がそれを満喫した。その結果、平成30年間の不幸を招くことになったが、その間に失った富すら感じられないほど余裕はまだ残っている。しかし、その余裕もこれからの30年間に次第に消滅しリカバリする戦力も能力も失い途方に暮れる時代がやってくることになるだろう。
- 現在の状態にまで悪化してしまったパンデミックは、世界中にワクチンや治療薬が広まり、社会の集団免疫が確立するまでは鎮静化しないであろう。さもなくば、社会が劣化し自分たちの環境悪化に対応できなくなり、その環境に慣れていくことによって沈静化という錯覚状態になるかもしれない。部分的には鎮静化に成功し、経済の立て直しが可能になっても、少しの油断が再感染を広める危険性は残っている。感染波の繰り返しを一刻も速く沈静化し、一歩一歩着実に感染対策と共に経済再生の輪を広める配慮が必要である。そのためには感染波の繰り返しと新しい株への変異を食い止める知恵と努力が不可欠である。アフタコロナの新しい道が我々の周辺にいつ広がってくるのであろうか。人間の目指している新しい道はどのような世界に我々を導いてくれるのであろうか。未だに、誰もその道を示してくれていない。みんながなにも分からずにただ藻掻いている。なにもわからず藻掻いているうちに砂地獄にはまり自らを滅亡させてしまうのであろうか。この現象が急速に展開される危険性すら感じる。
- ワクチンを供給できる国と供給される国、ワクチンを購入できる国と購入できない国、それぞれの国の事情は異なり感染対策の成果も異なってくるであろう。同時に、国々の経済的な成長力も変化してくるであろう。世界的に国力の格差が今よりも更に進むことになるかも知れない。日本の国は、元々自らワクチンや治療薬を開発し製作し世界に供給できる国であった。しかし、現在の日本はそれらができない。科学的先進国から脱落してしまい実行できなくなっている。これも、平成時代に起きた問題点の一つで、将来展望を誤った結果である。
- 日本の国も、持続可能な的確な対策を推進し、自らの環境を豊かな方向に舵を切れる能力を持っていなければならないはずが、その実力を無くしてしまった。平成時代にそれらの実力を発揮する方向を見失ってしまい、思考不十分な状態でアベノミクスのような金融政策を推進させてしまった結果、社会が巧く機能せず経済的にも産業政策的にも不幸な状態に進んでしまった。「安易な金儲けは成功の道でない」ことを噛みしめながら自らの進むべき方向と適切な社会構造を着実に立て直す行動が今後必要である。
- 最近、コロナ感染も社会の底辺で静かに拡大している。しかし、政府は第9波に進んでいるとは報じないし、テレビでも危険らしいという報道すらない。自分たちの利益に貢献しないからだ。感染した場合の医療費の負担は感染者個人の負担に変わっている。高額の医療費負担が必要となるだろう。支払いに耐えられない人は我慢するしか方法がない。しかし、感染予防の対策がどのレベルで必要なのか何もわからない。コロナによる死者数が少ないからと安心していると、年数とともに後遺症に悩まされるようになり、気がついたときは生産人口から脱落している自分に気づくようになる。これでは、手遅れである。政府の行政が誤った方向に進まないように、政権の支持の有無を明確に表現する必要がある。国民の声が正しく生かされないような国ではやがて滅びることになるだろう。
- いずれにしても、これからの世界で生きる高齢者は新しい工夫とより強い忍耐力が求められる。老人の経験を生かすチャンスがやってきている。もっと科学的に思考し、真実を的確に見抜いて、新しい考え方とテクノロジーを活用し、社会の荒波にのみ込まれないように、日本人特有の忍耐力と行動力を生かして頑張らなければならない。
- 日本の財界も、政府を頼りにしない自立力を持たなければならない。昭和の財界に存在した能力の一つである。平成以降の日本の財界はそれ以前の財界に比べて自分達で難関を打開していく能力が低下させてしまった。このことが日本の国力を低下させた大きな要因になっていることを財界人は自覚すべきである。金儲けが即成長でない自覚を持つべきだ。政界も、財界も頑張らなくてはならない時代が到来している。関係者は意識して頑張って欲しい。
月間歩数目標 7万歩以上
11月歩数実績 175,200歩
年間歩数目標 100万歩以上
年間歩数実績 1,897,200歩
- 月間歩数目標 7万歩以上
- 年間歩数目標 100万歩以上
- 年間歩数実績 1,823,100歩