ようこそ 続老後と公園へ 令和6年2月26日

 死者230名超、倒壊家屋多数、孤立地域多数発生など半島の特徴的な地震災害が発生した。
海が陸地に変化したり、山が崩れたりなど、地震による地形の上下変動も激しく、港湾が陸地化して漁業のための港がなくなったり、海洋資源の収穫が不能になったり、生活の場が失われた人が多い。

 今後の問題として、住居の確保、サブラインチェーンの整備などは勿論のこと、生活空間、生活環境、生活様式、高齢化問題などを含めて、今後、住民の生活をどのように確保・維持していくのか大きな問題になるだろう。

 今回の災害を受けて分かったことであるが、新年早々の出来事であったこと、能登半島という地形上の問題などの影響もあり、災害初期情報の把握や救助活動の開始のタイミングなどの遅れが生じた。南海トラフや首都直下型地震発生の危険性が高くなっている現状を考えると、能登半島地震のこれらの課題を即日本列島全体の問題として取り上げ、社会の危機管理体制の整備が緊急の課題となる。

1.安倍派幹部の裏金疑惑 不起訴

 安倍派幹部の裏金疑惑は起訴に相当する証拠が見つからなかったため不起訴処分となり、各派の会計責任者のみ起訴された。最近の政治家が絡む事件の多くは、政治家は不起訴処分、会計責任者や政治秘書のみが起訴されるケースが一般的である。この処理の方法に国民は満足していない。今回も、国民の政治不信は消滅しない。

 安倍派の幹部が悪事を実行した証拠が不明で、裁判で有罪とする確証が得られなかった。調査内容の詳細は国民には分からないが、昨年末から報じられた不祥事から考えて完全に無罪とは言えないだろうというのが国民の実感である。検察の調査に問題があったのか、政治家に忖度したのか、法律に不備があったのか、不明であるが、今後、検察審査会で取り上げられるかどうかに問題は移った。国民は検察不信にもなっている。

 上級国民が犯した行為を裁判を利用して国民に示すのも民主主義社会では必要なことかも知れない。裁判所がどのように判断するか。裁判の過程を国民に知らせて国民がどのように考えるかを知るためにも、生の情報やデータに基づいた裁判をテレビ中継で見せることも必要かも知れない。国民が求めているのは事件の真実である。真実が灰色のまま終了するのでは、一部の権力者の不正な利権が残存したまま、真実が闇に葬られて、不公平な社会が今後も残っていくのが問題である。結果として、虚飾と傲慢に満ちた社会となり、国全体を劣化させていく。平成時代の安倍政権が行った悪徳政治が日本社会を没落させる要因になったように安倍派幹部の悪質な行為は日本社会を破滅に導くことになる恐れがある。

 永年にわたって繰り返し行われてきた自民党の悪事を考えると、単なる検察サイドの事処理だけでは実態解明が十分にできない。国民が納得できるような状態にはなっていかない。検察の国民への詳細な説明が必要だが、検察のみの対応では、国民が納得できるような問題の解決が得られないであろう。政府、国会、司法、国民などを含めた、広い組織で客観的に調査し、多角的に解明していく努力が必要である。このような状態を繰り返していると、日本の国は民主主義を語れない国になってしまう。

 政府不信、国会不信、検察不信では、三権分立も日本社会では成り立たず、無意味なものになっていく。今後、国民の民主主義への不満が高まり、経済的不安定化と連動して、地域で武装蜂起のような現象が発生するようなことになると、アジアのいくつかの諸国のように、社会革命への道へ進むことことになり、社会は一層混乱することになる。最近の安倍派を中心にした自民党の政治家の考え方はあまりにもレベルが低いすぎて劣化してしまっている。経済的基盤も失われて社会が一定の秩序を維持できない混乱状態になると、健全な社会秩序に回復させることが不能な状態となる。やがて、この国を滅亡に導いてしまうことになり、庶民は生活の基盤を失うことになる。

 江戸末期の黒船来航、物価高騰、世直し騒動、財政破綻などを機に、慶応時代の「ええじゃないか騒動」、明治元年に「戊辰(ぼしん)戦争」が始まり明治維新が実現したように、悪政が続くと新しい日本の令和の夜明けに向かって庶民の活動が活発化し、世直し行動が発生するのが過去の歴史であった。現在のような悪政が長続きしないのが世の常である。江戸末期の薩摩や土佐、長州などの若者のエネルギーが日本の国を救ったように、庶民の群れのエネルギーが新しい国作りのための行動を起こす時期が到来しているのか知れない。自民党の内部やその他の政党の若い政治家達の中に、明治維新を進めたエネルギー源になったような若者達のエネルギーが存在しないのだろうか。不思議だ。

 それにしても、裏金疑惑に異議を唱え、ただの記帳不履行であると言い変える安倍派の議員さんの「品の悪さ」に呆れる。記帳不履行でも、数年間も、数件から数十件も、同じ過ちを繰り返す行為は犯罪行為である。現在の言葉では「裏金操作した議員は犯罪者だ」と言える。安倍派の議員達は自分達の言葉で、犯罪行為を立証している愚か者である。しかも、政倫審への出席は非公開なら出席してもよいなどと考えるようでは下級国民にも劣る人物のようだ。既に、政治家の資格を失った人達の群れである。

 安倍派幹部は還暦が過ぎた「60歳代のおっさんや爺さん」であり、日本の最高学府を卒業した見識の持ち主の集まりでもある筈だ。その人達がこの状態では、「いい年して恥ずかしくないのか」と言いたくなる。責任を感じたなら議員辞職しなさい。職務に専念すると言いながら、給料泥棒を繰り返すことはやめて欲しい。孫に語るのも余りにも恥ずかしいだろう。辞職後の処置は、選挙民による政界追放の処置しかない。現在のような状態をいつまでも続けていると日本は必ず没落する。世界の先進国からどんどん遅れてしまう。上級国民の最近の行動や言動が続くようでは世界の笑いものになり、孫からも嫌われる。国は先進国から下級国家に堕落し、ますます貧しい生活を庶民は強いられることになる。

 裏金議員は全員次回の選挙で落選させる決意」を国民はしなければならない。

 犯罪を繰り返すような代議士や議員を国民は必要としない」と表明しよう。

 暗殺事件や殺傷事件が発生する前に、民主主義的な方法で問題の解決を進めよう。

2.安倍派幹部の裏金疑惑 政治責任問題

 裏金問題の刑事責任は不起訴処理となったが、この種の問題には自浄作用という問題処理の方法がある。自浄作用とは、上級国民や責任ある立場の人に関連して発生した問題で、関係者または関係者が所属する組織などが、現法では法的には問題がないが、仁徳や社会環境、その他の条件などを考慮して、関連する立場の責任者や組織員が自ら反省して責任をとる行為などを行うことである。

 安倍派幹部の裏金疑惑に関連した問題でも自浄作用としての政治責任問題の処理法がある。

 今回の場合の政治責任として、一度、離党および議員辞職する。政界に復帰したい場合、次回の選挙で無所属で立候補し、当選後は復党することを可能にする。落選すると、政治生命を絶たれる。そのプロセスを経て、選挙民に評価してもらうぐらいの行動が最小限必要である。

 2月に入って、ウメ、フクジュソウ、スノードロップ、ニホンスイセン、ヨウスイセン、マンサク、セツブンソウなど種々の花が、彩りも鮮やかに咲き始めた。気温が高いためか、例年よりも1~2週間ほど早い気がする。ウメの種類も増えた。ヤエヤバイ、ツキカゲ、ヤエカンバイ、キンコウ、ミチシルベ、エンオウなど2月中旬から3月上旬にかけて咲く種類が逐次咲き出した。八重咲きや一重咲き、白、紅、淡紅、青白の花などが咲き出した。

 白い花、紅い花、黄色い花、桃色の花、花の色の濃淡、花の輪の大小、縦や横に伸びた枝、斜めに伸びた枝、真っ直ぐなもの、曲がりくねったもの、空に高く伸びたもの、地面に沿って広がったものなど、いろいろな容姿で、気ままに、草花や樹木が空間にその生命体を自慢げに表現している。青空を背景に含めてカメラに収めると、自然の美しさが目に染みこんでくる。雪が残っている公園内で小春日和の暖かさを同時に感じると生きている実感を味わえる。

 公園を散歩する人々の数も次第に増えている。若者も、年寄りも、幼い子も、男も、女も、ペットの犬も、みんな揃って元気よく笑いに満ちている。男女の若者も、少人数の家族連れも、少し群がったグループの仲間達も、みんな、これから始まる新しい季節を祝っているように感じる。

 今年は野生の草花に注目してみたいが、野草を発見するのが難しい。短時間咲いて、短時間で消えていくものもあり、頻度高く出かけて綿密に観察しなければならず大変だ。しかし、気候変動の影響で絶滅の危機に瀕している草花も多く、今後の人間社会の現象と酷似しており、自然界で弱者がどのように滅亡していくのかの現象を観察できるかも知れない期待がある。

1.着目点

① 政治献金疑惑発覚 ・国会議員逮捕 ・安倍派幹部不起訴
② 社会改革には「人の知恵の活用」が不可欠だが前途多難
③ 社会の不安定化は政界指導層・財界指導層の対応能力不足が原因
④ 地方の過疎化とアジアにおける日本の過疎化
⑤ 虚飾と傲慢に満ちた日本社会
⑥ コロナ系反応速度と人間系反応速度

2.党内の刷新本部で対応可能か

 裏金疑惑問題と関連して、自民党内に刷新本部が設置された。しかし、メンバー内に実際に裏金操作に関係した人物が多数含まれているとの話、適切な対策や斬新な考え方が生まれるだろうか。

 岸田派、安倍派、二階派は派閥解散を決定。解散後は、金銭問題、人事問題に派閥は関係しない。

 この1、2週間で自民党がどのような考え方をまとめるかが問題である。

 自民党の政治政党としての自浄効果が期待できるかが問題であるが、過去の例から考えると、期待することが難しい。安倍派幹部を人物的にみても、自浄作用が期待できそうな人材はいない。平成・令和の日本の政界は劣化が進んでいる。改善される自浄効果を期待することは無理だろう。現状の人々で政治を行っても社会は改善していかない。悪化の方向に向かうだろう。一刻も早く、政界から引退してもらうことが社会のためになる。自ら引退しないならば選挙で落選させるしかない。国民に期待する。

 現在の日本社会は、人心の刷新が不可欠であるが、与野党とも選挙をやりたがらない。議員さんの身の保身のためだ。選挙はやらない。給料泥棒や裏金疑惑は繰り返すやらで、上級国民も最下級国民となり、選挙で選ばれる資格を失った人々になってしまった。

 当面は現状維持で、世間の噂が消える頃に改選を実施するだろう。しかし、国民の我慢が続かなくなると、世の中は不安定化し、世直し騒動に発展する。裏金疑惑議員は全員落選だ。

社会・経済両面で厳しさ増す令和6年

1.自民党安倍派裏金疑惑発覚

 3年余り苦しんだコロナ感染恐怖からようやく脱出できるという安堵感と経済再生への希望の光が感じられるようになると思ったのも束の間、新たに自民党安倍派の裏金疑惑が発覚し検察が動き出す事件が発生した。多額の資金を活用して進める自民党の政治活動は、政治家個人が多額の資金を調達する必要性に追い込まれ、パーティー券という仕組みを利用して企業や個人からの金銭の提供を求める体質を育んでしまった。しかも、「裏金」と呼ばれる使途不明の金に換金してしまう不正行為まで育てた。

 これが政治家の正義か。国民は、思わず「嘘だろう!!」と言いたくなる。

 平成の3流政治家の集いが、日本社会を不幸のどん底に導いた。その代表格が安倍派の幹部達である。このままでは、令和の3流政治家が日本を破滅に導く恐れが高い。

 平成後期、アベノミクスが社会に浸透するに伴って、余分な金が社会を満たすようになり、経済の停滞とともに進んだ富の格差の拡大が富裕層や企業から政治家への金銭の提供を容易にした。この社会情勢の変化を利用したのが自民党の政治家達であり、多額の金銭を使用して選挙を有利に導いたり、派閥の勢力の増強、派閥の利権の確保などに活用した。中でも安倍派の行動は顕著なものだった。

 見方を変えれば、アベノミクスは裏金疑惑発生の一つの要因になったとも言える。

 最近の政治家の能力が、それ以前と比べて大幅に低下した。古参の議員がだらしなくなった。若手の議員が積極的に表に出なくなった。政界の雰囲気が停滞気味である。社会はどんどん悪化するだろう。

2.安倍一族の裏金操作は民主社会の犯罪行為

 政治と金の問題は戦後だけを考えても、昭和、平成、令和と3時代を通じて絶えず問題になってきた。最近では、政治資金規正法が制定され、国民が少しずつ基金を出し合って政治家のための活動費を提供する仕組みや政治家個人への献金や寄付、資金集めの活動を制限する法律を定めたりしたが、時間の経過とともにそれらの法律の存在を無意味にするような行為が政治家達の悪知恵によって工夫された。しかも、実行指導者である派閥やグループの責任者が罰を受けることのないような仕組みが導入されて、すべての責任は会計責任者が負うような形にしてしまった。

 派閥の責任者や幹部である議員達はこの仕組みを利用して刑事罪を逃れれるような行動が行えるようになった。事件が発覚すると、すべての責任を関係者に押しつけ、「自分は知らなかった」、「知らされていない」などの言い訳ばかりを語り、責任を自らとろうとする行為を一切示さない。「議員は上級国民である」とは言えない存在になり、トカゲの尻尾切りの処置が当たり前になった。これを利用して代議士や議員は悪事と言われる行動を自分たちの特権のように考えて繰り返して行うようになった。慣習化した。

 こうして「虚飾と傲慢」が闊歩する社会ができあがり、司法が手を出した場合の抜け穴まで立法によって作られた。この機会を利用して安倍派は大手を振って悪事をする反社会グループになってしまった。これが国民が支持した自民党政権や自民党議員が犯した重大な悪行の一つである。安倍派の裏金操作は法治国家の日本では犯罪行為である。もし犯罪にならないのならば、法律に問題があるか、司法・検察の能力や考え方に問題があるか、選挙制度の問題か、日本人の民主主義に関する理解度が低レベルの問題か、いずれにしても民主主義国家での仕組みに重大な欠陥があると言える。これでは日本は民主主義の先進国とは言えない。安倍一族はこの慣習の中で政治的行動を行うようになった。

 もし、安倍派の議員や自民党の議員が仁徳のない人間の集まりなら性悪説に立った法律の制定も急務だ。しかし、上級国民である代議士や国会議員は仁徳を持った人々の集まりだと考えるのが普通である。性善説に立って、政治家のための法律は、政治家は社会に役立つことを考え率先して正義のもとで行動する人々の集まりであると考えて、善悪の境界を多少曖昧に制定しても、仁徳で判断し社会では正しい行為を実行すると考えて決めている。しかし、その境界を悪用して、私利私欲に走り善悪の区別もできないグループと同様に、堂々と大衆の面前でも悪事を行う罪人の群れとなってしまうようなら、反社会グループの法律と同様に、厳格に立法府で法律を制定しなければならない。安倍派の幹部はこのレベルの人間だったのかと考えると情けなくなる。即刻議員辞職して社会から消えてほしい。この人達の存在は日本の恥である。

 指導者のエゴと関連するこれら問題は日本だけの問題ではなく、世界全体に通じる一つの現象でもある。世界で発生しているウクライナ問題、中東のイスラエル・パレスチナ問題、東南アジアと中国の問題、北朝鮮の問題、国内で発生した安倍一族の諸問題、統一教会の問題など、指導者達のエゴで発生したすべての事件がこれらの問題と無関係ではなかった。

 これらの行為は社会全体を「虚飾と傲慢」で包むようになり、ピーターの法則に基づいて社会を劣化させていく要因となっていく。平成時代の日本社会の姿や生活環境の変化、議員達の行動は、これらの現象を具体的に検討する上で適切な材料を提供してくれる。裏金疑惑が司法の手によって、現在の法律でどこまで解明できるかは今後の問題であるが、これらの問題に国民も関心をもって、これらの情報に触れ、選挙では悪質な議員を除外する行動につなぐとともに、政治家達が作成する法律、判事や検察の対応にも注意を払い、罪人がすべて平等に罰せられる法治国家にしていく必要がある。少なくとも、安倍一族のような犯罪行為を行う裏金議員は政界から追放すべきである。

3.庶民の無関心で社会が劣化

 今までは、この種の問題に対しては、日本社会では「見ざる、聞かざる、言わざる」の無関心を示すのが一般的であった。庶民にとっては、無関心が利口な行動の一つとされていた。しかし、社会が現在のような状態に劣化すると、その影響受けて損をするのは一般庶民の「無関心」でいた人達である。無能になった指導者が吹く笛の音色で庶民が無関心のまま踊るようになると、社会はどんどん劣化していく。格差がどんどん拡大する。

 このような状態が30年間続いたのが平成の時代であった。この平成の時代に日本の国は貧しくなり、世界の中でも、科学技術を始めとして主要分野でレベルの低い国になってしまった。日常の生活も苦しい人が増えた。GDPもドイツに抜かれて世界4位に落ちた。やがて、インドに抜かれるのもそう先のことではないだろう。

 このままではレベルの低下は今後も続いていく可能性は大きい。国家が破滅すれば、多くの国民は極貧生活に追い込まれる。

4.庶民集団を原動力に、改革集団の組織化

 政治や経済の各分野のリーダー達に頼ることも、国会議員に期待することも、司法に望みを託すことも、この国ではすべてできなくなってしまった。残された道は庶民自身が立ち上がることである。今後の期待は、日本の庶民の集まりの力で、分相応の世界の地位が確保できるかどうかである。

 政治は庶民の一票から始まり、庶民の総意で社会や国の進む方向が決まる。これが民主主義の原則である。選ばれた上級国民の能力がなくなれば、それに変われるのは庶民だけである。庶民が無関心を捨てて積極的行動に変化することである。

 無関心を捨て、大いに関心を持って、自らの頭を使って、他人の話や世間の人々の意見を聞き、他人と話し合って自分達の考えをまとめ、自分の考えを主張する。選挙時には不合理な人を政界から排除する。法治国家で不適切な発言や行動を行う政治家に異議を唱える。個人のレベルで弱ければ、グループや集団の力、組織の力にまとめ上げて実行する。それを庶民が力を合わせて推進する。そのための手段はネット上にたくさんある。みんなのスマートフォンの中にある。一人でも多くの人が積極的に、このような行動に参加し実行すると、社会を変えることが可能になる。明治維新のように戊辰戦争に頼らなくても、ネットを利用して時間をかけて根気よく活動すれば、平和な状態で社会改革を達成することも不可能ではない。

 その先には夢が持てる社会が現れる。庶民の関心と庶民の声で、もの申す庶民の集まりが社会を変えていく原動力になれるのだ。その原動力を中心に、質のよい優秀な経営者や社会の指導者、政治家、その他の社会改革に必要な人々が集まるようになる。そのような人達が一丸となって推進する塊が、新しい日本社会を改革できる集団として生まれ、改革が推進できるようになる。庶民の原動力がその塊を育てることになり、庶民の原動力で優秀な人材を結集させることが重要となる。

 庶民は質の悪い指導者の笛に踊らされるのではなく、自ら各個人が笛を吹き、その笛の音の塊を大きくして、一つの音色の塊に育て、社会を変える原動力として生かし、育てる必要がある。そして社会に現在埋もれている優秀な人材を社会の表に引き出し新しい戦力の仲間に参画してもらうことだ。

 次の図は社会を変えるために庶民が実行しなければならない行動を示した。×は変えなければならない内容、はこれから実行しなければならない内容を示す。

 「公園百合の花23」は、寒さに弱い百合の花の耐寒性を強めたウインターリリーの動画である。

 公園で毎年6月に咲くスカシユリを利用して、園芸者の知恵と工夫を積み重ねた結果、耐寒性に強いウインターリリーが開発され、寒い冬の来園者を夏と同様に楽しませてくれるようになった。

 「公園の花6月23」は、6月の雨期が過ぎると、太陽が輝く夏期がやってくる。この季節の変化を、「機の変化の時代」と捉えて、「Change Is Coming」のBGMに併せてアジサイの花を観賞する。

1.問題解決のための思考不足

 2022年7月、東京都の新規感染者数が4万人/日越えの過去最高40406人/日を記録した。第7波襲来までに3年近い歳月を経過したが、対策らしい対策を打てないまま自粛要請すら発令できない状態になってしまった。その間も、その後も、コロナは意のままに振る舞い続け、人を媒体として繁殖を繰り返した。

 宿主の人間は重症化しなければ「コロナと共存でよい」程度の諦め気味の安易な妥協で、この環境を受け入れようとしていた。そのように考えることが問題解決のための賢明な方法であると考えたのであろうか。その結果、我々の周辺や将来の人の生活はどうなると考えたのであろうか。当時、そのように考えた理由は判然としないが、多くの人はその考え方が無難と判断したのであろう。

 宿主の人間の細胞がコロナに冒され利用されるのを我慢で耐えようとしていたようだが、いつまで耐え続けられると考えたのだろうか。将来への影響について考えたのだろうか。その思考プロセスにはいくつかの疑問だけが残る。その時、それらの問題に打ち勝つ人の知恵がなぜ生まれてこなかったのか。解決のための知恵をなぜ生み出そうとしなかったのか。当時の日本人の日常の行動や問題を解決するための考え方にいくつかの疑問が残るが、それ以上のことを検討する状態には進まなかった。

 これも平成時代の特徴的な日本人の行動パターンの一つの表れであろうか。一定の年数が経過して問題点が露わになり、進める道筋が自動的に決められてしまう結果にしかならないことがわかっていても、どうすることもできない状態になることで諦めてしまう。そのプロセスを経たことで問題を解決したという結論を出してしまう特徴があり、実際には問題を放棄したのかも知れない。いつもそのようなプロセスを繰り返す。すべての面でコロナ対応と同じような考え方が展開されるようになり、解に辿りつくことはない。数学の応用問題を次から次へと手がけて、解が求まらないうちに次の問題に移るような行動を行う。答えが求まらない問題を解く場合のような哲学的思考を行うのでもない。現在の日本人のこのような思考法には本質的な問題があるのではないか。これでは工夫や知恵を活用する段階まで進まない。重要なことは問題は何も解決しないで、社会や我々の周辺に問題が山積するだけである。

2.生きる力の活用

 人の生きる力は、右図に示すように、行動する中で、創りたい課題、創らねばならない課題に気付き、種々の知恵と工夫を働かせて解決方法を見つけ、解決のための手段を自分で創り上げ、それを実際にシステムに適用して最適な解が求まるまで根気よくその行動を繰り返して挑戦していく行動力である。最適な解決方法が見つかると、その方法をハードウェア化やソフトウェア化して、自動的に操作可能になるようにシステム内に導入することによって目的を達成する。この生きる力を活用する行為が不足しているために適切な解を求めることができないのだ。これが現在の問題点である。

 東欧ではロシアとウクライナの人間同士が戦争を始め、生活を壊し社会を破壊し自ら崩壊の道に進んでいる。戦う武器が不足すれば被侵略者ウクライナは世界に援助を求め、欧米からの支援物資としての武器が供給されると侵略者ロシアはその支援を理由に破壊活動を繰り返し、ミサイル攻撃で庶民を虐殺し、原子力発電所や水源としてのダムまで攻撃の対象としてしまう。終わりなき戦いは長期化の兆候を示し、コロナ危機と東欧での戦争が経済不況と生活苦の中へ世界の人々を導いていく。戦っている両者は、共にこの行動の中で「生きる力」を活用する行動が行われていない。国連を含めた世界の対応は、それぞれの陣営で戦争の支援を表明し、行動するが、局面を平和の方向に導く動きはできない状況になっている。戦争はいつ終了するのか未定のままである。更に、中東ではパレスチナの不安定化が報じられ、イスラエル・パレスチナ間で新たな行動が始まった。ここでも、世界的な不安定化を増大させる騒乱が再発し、その周辺に不安定要因が波及している。世界は一層混沌とする方向に進んでいる。

 古今東西を問わず、人間社会では種々の問題が発生し、中には人類の存亡に関わる重大な事態に至る事件もある。現在、そのような事件が世界中で多発している。いずれの事件も、どの国においても、適切な対策が生まれていない。自然科学や社会科学、新しい技術、人工知能技術、デジタル技術、データ処理技術などの新しい時代を代表する科学や技術的な考え方が芽生え発達してきているが、それらの技術や考え方を駆使した新しい対策の実現や新しい生活環境が生まれていかない。世界は次第に混迷状態に突入し、地球温暖化問題とも関連して地球崩壊現象の発生に繋がっていく予感すら感じられるようになっている。しかも、この不安定化に対応する国連の行動も無能力化しており、それぞれの国の指導者のエゴが関係改善よりも関係悪化に寄与する状態になっている。

3.指導者のエゴの弊害

 指導者のエゴが影響して、現在発生している事態の認識が十分できずに、その周辺で開発されている技術との対応を巧くマッチングさせることができない。新しい技術や考え方が理解できていないために、それを利用して、現在の困難な事態の解決に適応できる「人間の知恵」「人間の工夫」を生み出すことができない。どちらの場合も、指導者のエゴが障害になっている。

 指導者のエゴが先行したため、複雑に絡み合ってしまった知恵の輪の中で思考できなくなり、苦労して知恵を働かせて困難な問題の解決を進める努力を怠ってしまう。私利私欲を達成するための行動、安易な妥協や思い込みの結果を期待する行動に進もうとする。遭遇している事態について、冷静に適切に分析し、真の現象を認識しようとしないために、科学的な原理原則を活用して一定の条件の下に論理的に得られる解に辿り着くことができていかない。最後は、何もせずに究極の段階まで進めることになってしまう。

 このような私利私欲のエゴに支配された、場当たり的で曖昧な方案と解とを定めて行動する結果、途中での条件の変化や設定した基準の誤りをリアルタイムに発見することができなくなり、哲学的思考もできないため、事態が重症化するまで行動してしまう。

 単なる時間の経過だけでは適切な対策や適正な結果は生まれてこない。的確な問題認識すらできなくなってしまう。生きる力を前提にした試行錯誤を繰り返し知恵を積み重ねる努力が必要となっている。更に、日本では政界の宗教汚染が進んだ結果、客観的に物事を把握する能力も失っている。自然界での環境汚染、政界での宗教汚染が日本国民の生活環境に重大な課題を投じる事態に進んでいる。

1.無防疫社会、弱体化した日本

 20世紀後半に繁栄を誇った日本社会も平成30年間で破滅の道に進んでしまった。「政治の貧困」、「経済の無気力化」、「思考や知恵の欠如」などが進み、無力化した痛ましい日本の姿は、病気と戦う手段すら提供できない無防疫社会に変わり果て、社会インフラに関してもレベル水準が低く先進国と言えない惨めな姿を晒している。自らのワクチン開発も進まない。治療薬や常備薬もままならない。すべて海外で開発されたワクチンや治療薬に頼る以外に手段を持てない国になってしまった。

 「金さえあればなんとかなる」という平成時代の安易な考え方が、コツコツ努力して成果を実らしていく日本人独特の姿勢を失わせてしまった。生きる力の基本を忘れ、工夫と知恵の活用を怠り、目先の利益のみを追求してしまった。平成30年間が過ぎると、科学技術も衰え、基礎産業も応用産業も過去の栄光を失ってしまった。令和の時代には、貿易収支も悪化し、次第に富も減少し、格差が拡大し、多くの庶民が貧しくなった。国の人口は減少し、地方の過疎化は進み、社会は高齢化した。

 社会の仕組みも古ぼけてしまった。21世紀の基本インフラの一つであるデジタル化も十分でなく、デジタル化のための基礎インフラをも欠く日本では、システムの導入すら簡単に推進できなくなっている。情報に関する基本的思考の甘さ、システム開発の基本の考え方や情報処理の仕組みの不備が原因で緊急事態にも対応できない状態になってしまっている。金があっても物作りやシステム開発力が劣り、自力が不足する日本社会では、自ら仕組みやシステムを構築していく目的や手段を含めてすべての術をなくしてしまっている。金さえあればなんとかなる筈の「円」ですら円安で価値を下げ、世界的なショックを受けて国内の物価が急騰する事態を招いている。やがてドルも不足して必需品が欠乏し、生活に支障を来す恐れもある。しかも、これらの実態を認識できない人々が多くなっている。

2.平成のリーダー達が社会を弱体化

 日本には有能な人材が沢山いたが、平成時代に政治家が政治主導の仕組みを導入した影響で、政治や経済がそれらの人材を活用できない国になってしまった。デジタル庁を組織化しても、マイナンバー制度は遅々として進まない。システムの誤動作に不満を感じた人がシステム離れを起こす事態になっている。コロナが発症しても、情報処理速度の遅れによって、コロナの感染速度に人間の対応速度が追いつけない事態にもなった。人の処理速度がコロナの感染速度に対応できなくなっている。これらの諸問題も平成時代に政治や経済が犯した社会問題の一つであり、情報や情報処理に関する21世紀的思考の欠如や基礎インフラの不備などが齎したものである。そのうち開発できる人材すら国内にいなくなり開発不能となるか、海外の人材活用が不可欠な事態になるか、開発を諦め没落する社会に進んでいくかのいずれかの道を辿ることになる。戦後輝かしい業績を上げた日本の経済力や技術力もどこかに消えてしまった。近くで見ることができなくなっている。

 人間が滅びればコロナも滅びる。寄生者は宿主を変えるか、宿主と共に滅びるかのいずれかであるが、いずれの場合も宿主である人間は滅亡する。このような情けない日本の姿を国民は認識すらできなくなっている。認識するための判断基準や基本の考え方を失ってしまったからである。平成の社会で犯した「政治の罪」、「経済の罪」が種々の局面に現れて、次第に身に染みてきて途方に暮れる令和の日々が徐々に近づいているのを感じる。ウイズコロナの考えを基本に可能な限りの経済再生活動を持続させていると、やがて、コロナの弱毒化が自然に進み、従来のような平穏な生活に戻れると確信しているようだが、そのように巧く進むのかどうか不明確である。これらの可能性が立証されている訳ではない。

 暗殺された元首相の国葬の賛否や宗教法人旧統一教会の存在が問題になった。平成30年間を通じて国力をここまで低下させた政府の首領を、長期政権という理由から「国葬」にする根拠が生まれてこない。旧統一教会の信者の支援を得た自民党政権の多くの政治家は宗教汚染されており、日本の将来を自ら夢見、自ら語る能力も失い、昭和の時代に国民の努力で獲得した多くの国の富を消失させてしまった。そして、庶民が「幸福」を感じられない社会にしてしまい、多くの人々が「不幸」すら感じるような状態になってしまった。重機でビルを破壊するように人の社会を、民主主義を破壊してしまった。

 この平成30年間の悪政の責任はどの指導者がとったのか。誰もとっていない。誰もとろうとしてこなかった。この事態を認識できなかった平成の自民党の政治家達の中には、「国葬」に値する政治家は一人も存在しなかった。更に、外来の宗教に簡単に汚染された政党自民党の存在価値すら疑わしいことになる。自民党の政局運営方法は、閣議決定があたかも国民の総意であるかのように扱われ、国会での議論、国民への説明が形骸化してしまった。世論調査の内閣不支持率が70%前後まで悪化しても反省すら行われない。この国では、政府も、国会も、司法も、既に民主主義の形態を成していないと言える。

 このような、政治家や経済界を含めた社会の指導層の「無感覚さ」、「責任感の欠如」、「愛国心の欠如」などが問題の根源であるが、与野党の区別なく日本の政治家や社会の指導層各自がその責任を感じ反省しなければならないのは当然である。しかし、豊かさに酔いしれて、目標や夢を持てなくなってしまった国民の社会の現状に対する「 無関心さ 」も問題にしなければならない。

 

2.ウクライナ動向と世界情勢

 2022年2月末にロシア軍がウクライナに侵攻する事態が発生して以来2年近い期間が経過した。開戦直後から大きな戦争に結びつかなければよいがと懸念していたが、懸念が現実のものとなった。愚かなロシアの指導者やロシア国民がパンデミックの時期に陥りやすい現象の一つにはまってしまった。戦乱が大きくならなくても単発的な争いが長時間持続するようになると、世界経済への影響は避けられなくなる。

 まず、ロシア国民やウクライナ国民が戦火と経済的困窮に遭遇し、やがてその波がコロナ菌と共に世界の経済活動に拡散していく。コロナの影響や戦火が短期間に収まっても、経済的な影響は数年間に及ぶことになる。エネルギー問題や世界の物流の流れが乱れ、生活必需品の不足や物価の高騰が続く事態になる。世界の庶民の生活は厳しいものになるだろう。

 日本でも、平成時代以降の経済の停滞や円安、賃金の低迷などアベノミクスの負の遺産の影響を受け、繰り返し発生する急激な物価高やエネルギー高の影響が庶民の生活に大きな負担を強いる環境に進むであろう。平成時代の経済政策の失敗が令和の時代になって日本国民の上に大きな負担となり、国内で解決していける環境や能力を失った日本の社会は世界の不安定化に翻弄されることになるであろう。

 その中でも我慢に耐えられない一部の人々は生きることも困難になる時代に突入するであろう。戦争とコロナの影響などが長引けば、多くの庶民が極貧という苦しい生活を強いられることになり、戦時と変わらない社会環境になる恐れがある。

 ロシアの侵略行為に対して国際的な経済制裁がロシアに加えられているが、ロシアの残虐な行為は停止するどころか、激しさを増している。ロシアは侵略行為も避難民の世界への拡散もネオナチという言葉で正当化しようとしている。国連の非難決議にも拒否権を行使した。ロシアの侵略行為は長期化するだろう。

 更に、中東でも、歴史的な問題を引き継いでいる事件が発生した。これらの問題が局部的な争いであっても長期化すると、第3次世界大戦に発展する可能性もある。今後の世界は不安定が増す方向に進んでも、健全な安定化の方向に進むことは期待できないであろう。

 ロシアはネオナチを仮想敵国として、100年前のナチと同じ行動を自分たちが行っている自覚がなくなった。周辺国を含めて世界の国々はこの一世紀の間に成長し、21世紀の感覚を取り入れ進化した。しかし、新しい時代に相応しい指導者が得られなかったロシアは1世紀前の考え方から成長できないまま、2~3世紀前に遡る野蛮な愚行に走ってしまった。

 ロシアは国連の常任理事国の立場にある国である。「虚飾と傲慢」の充満した社会で、ロシアの指導者も国民も、世界のリーダとして自国や世界を正しく指導する能力を失ってしまった。拒否権を持った常任国の役割が果たせない国になってしまった。自国にも、他国にも多くの犠牲者を発生させ、世界に不幸の種を散乱させ続ける国になってしまった。やがて、ロシアは敗北するであろう。ただ、そのための時間が必要であり、その間に世界では多くの損失が発生するだろう。

 百年前に我が国も世界戦争を経験し、多くの都市や国民が戦争による被害を受けた。原子爆弾による放射能の影響も受けた。悲惨な社会状態から現在の社会に復興させるのに30年以上の歳月を必要とした。戦争はそれほどの莫大な資産や人命を数週間や数ヶ月の短期間で破壊してしまう。しかも、一部の傲慢な指導者のエゴや国民の無感覚な迎合的行動が原因で発生することがほとんどである。過去の日本もそうであった。ロシアとウクライナの戦争も同じような結果になるであろう。

 21世紀になっても、2、3世紀過去の幻想に支配されている政治指導者や宗教指導者、歴史と共に成長していけない人間の存在が人類の歴史に一つの汚点を残し、過ちを繰り返し続けている。ここにも、持続可能な社会環境の確立が求められる人類の課題がある。

1.再生・共生の原理を求めて

 国営昭和記念公園は、東京都の立川市と昭島市にまたがる多摩地区にある国営の公園である。

「緑の回復と人間性の向上」をテーマに昭和の末期に建設された公園で、自然的な環境の中で国民が健全な心身を育み、英知を養う場として提供されている。散策して気づくことは、180ヘクタールの広大な公園の舞台で動めいている自然界の神秘的な現象の素晴らしさである。

「再生と共生」という自然界の素晴らしい現象が満ちている。
公園の樹木は四季の変化につれて芽を出し蕾を膨らませ花を咲かせる。花が散ると青々と葉を茂らせて、幹を太らせ枝を伸ばす。やがて、紅葉し葉を落すと、再び、次の四季の変化の準備を始める。この変化の過程で樹木の生き方と人間の生活は深く関わりを持っている。

 人は、花咲く季節や落葉の季節には自然のもたらす美に癒やされ、緑茂る季節には新鮮な空気が供給され、やり甲斐と活動への闘志を与えられる。公園の自然は1年を通してわれわれに多くの恩恵をもたらしてくれる。しかも、この恩恵を毎年繰り返して与えてくれる。

 昭和の末期に提供された国営昭和記念公園も、30年を超える平成の歳月にわたり、多くの人々に親しまれて、テーマである「緑の回復と人間性の向上」に寄与してきた。人工的につくられた公園であるが、古い時代の武蔵野の自然を存分に取り入れ、自然につくられた公園のごとく演出している仕組みが公園を訪れる人々を満足させ、楽しませてくれる

2.再生と共生の教え

 国営昭和記念公園には、自然界の基本原理である「再生の原理」と「共生の原理」が満ち溢れている。戦後の日本や世界が、成長という言葉のもとに置き去りにした基本原理をそこに見つけることができる。自然の中での「再生の原理」や「共生の原理」を具体的な現象を通して観察し体験すると、戦後の日本社会の構築プロセスで行った多くの行為の中にも、多くの間違いがあったことを教えられる。更に、最近の日本社会で行われている行為や考え方の間違いについても気づかされ、今後、どのように修正していくべきかが悩ましくなる。

 現在と将来の生に備えて、自然界に存在するすべての生き物が、絶えず種々の環境に対応しながら、最適化と合理性を飽くことなく追求し、持続可能な環境の維持を求めて、世代を超えて永遠に生き続けるために、この基本原理の下に活動し続けている。人類もその生き物に属し、その一部の役割を担い活動している。しかも、その原理が不変の基本原理ではないということをも認めながら活動を続けている。

 公園の生きものや樹木、草花などの自然界の現象を観察していると、のどかな平和と合理的、効率的な自然界の現象に支えられた豊かさを感じ取ることができる。些細な争いや略奪があるにもかかわらず、生きる喜びと楽しみ、将来への夢を教えてくれる。自然の四季の変化に対応して、数週間から数日の短い期間で毎年繰り返す草花の生命が、土や水などの役割をも含めて、持続可能な環境の維持に関係する基本原理を我々に教えてくれる。

 人間の社会に限って考えてみても、一回り大きな自然界の基本原理である「再生の原理」や「共生の原理」の教えにならって、健全な社会、平和な生活環境を目指し、どの国の国民もみんなが揃って未来に夢を求める活動を正常化させることができれば、戦争も核も考える必要のない世界、自然災害の少ない社会、豊かで健康的な社会をもたらすことができると信じる。持続可能な環境の維持の考えに支えられた、自然界のすべての生命を含めた理想的な環境の構築が可能になるであろう。

続老後と公園のホームページでは次の考えでコンテンツを作成する。

① 国営昭和記念公園の四季の生き物の活動状態を題材にする

② 生き物の写真とBGMを組み合わせて動画を作成し掲載する

③ ②のコンテンツに掲載された各種生き物に関する情報を提供する

④ 各種生き物の特徴や挙動と人間社会で行われている行為とを関連付けた話題を展開する

⑤ ④の話題から一般的な課題、基本的な問題などを抽出し検討を加える

⑥ コンテンツの掲載方法、話題の展開要領、展開手段などにAIを含めた手法を使用する

⑦ 最重要課題を「共生の原理」「再生の原理」とする

⑧ ホームページの更新は原則として毎週月曜日とする