1.社会情勢
経済はコロナ不況からの脱出は逐次進んでいるようだが、人手不足や世界的な社会不安の影響もあり為替の変動幅も大きく、公共サービスの低下や物価の不安定化、賃金が追いつかない状態が続いており、庶民の生活苦は改善される方向には必ずしも進んでいない。政府も対策を検討しているようだが、即効性に乏しくしばらくは期待できそうもない。今春闘の賃上げが中小企業を含めてどの程度実現されるかに左右されるが、今年末まで、同じような状態が続くものと予想される。個人別に我慢も交えて工夫した生活を整える必要がある。
2.自民党安倍派の裏金問題
パーティー券を販売する政治家の金集め手法は、経済的に収集能力の低い彼らにとっては貴重な稼ぎ方の一つであるが、法律的にはグレイゾーンの判定を受ける危険な要素を持っている。アベノミクスに代表される経済政策のように、経済的な格差が拡大するにつれて、一部の人々が金の出しやすい環境がつくられるようになり、その環境を利用して政治家達が自分たちに必要な金を集める行為を行うようになった。その行為が司法の手によって問題視され、公職選挙法違反や脱税容疑などの観点から捜査が行われた。捜査結果、会計責任者や秘書などの起訴は行われたが、関係する政治家達は一部の人を除いて、多くの関係者は確証が得られなかったため起訴や逮捕される状態には至らなかった。法律の欠陥が議員の裏金操作を許容してしまった結果となり、今後、検察審査会による検討や関連する法律の改正の必要性などの検討が必要となるだろう。
更に、安倍派幹部などの政治責任が話題になっているが、議員自身が自浄作用でどこまで道義的責任を感じて対応できるのか疑問である。議員は上級国民として、刑法上問題がなくても、道義上の責任で対応できる方法があるが、責任を他人に押しつける傾向の強い最近の上級国民らしき議員達では、責任を回避する行動をとる傾向が強い。現在の政治家は一般的にレベルの劣る人材の集まりであり、自浄効果を期待した責任の取り方などを考える能力も責任感も持ち合わせていない輩の集まりである。国民が選挙で的確に判定しないと浄化されないであろう。自民党を全面的に否定するか、悪質な政治家のみを選定して個人単位に選別するかは国民が今後選挙を活用して決める問題になる。
3年間にわたるコロナ危機を経験して、日本の社会が抱えている多くの社会問題が赤裸々になった。昭和末期から平成時代30年の間に心配していたことであるが、日本の社会は質的にも量的にも大幅に劣化してしまった。社会が劣化したことは、日本国民の生活レベルが劣化したことになる。最も大きく劣化したのは政治的な劣化であり、次いで経済的な劣化である。昭和時代の一般庶民の考え方と平成時代後の政治家の考え方を比較しても、後者が前者よりも格段に劣っていることが明確である。戦後生まれの民主主義を十分に理解できていなかった世代や戦後復興後の豊かさだけを満喫し尽くしてきた世代の世襲政治家の台頭が、日本の社会を正しく導く能力を消滅させ、平成時代の後期に政界を中心に社会に広まった「虚飾と傲慢さ」で代表される行為が社会全体を劣化させた。その中心になったのが安倍政権であり、それに従った安倍派議員達であり、その結末が裏金疑惑である。コロナ危機という百年に一度の世界的な災害に遭遇し、それらの諸問題に対応する能力を失い国民を一層不幸に導く事態になってしまった。
なかでも、民主主義的考え方の劣化が甚だしく、必要以上に権力を行使する傾向が強くなった。特に、政治社会に「政治主導」の考え方を取り入れて以降その傾向が顕著になった。それ以前の政治は「官僚主導」の形で進められていたが、「政治主導」の考え方が政治家からの主張で取り入れられ変化した。当時既に外来の宗教汚染が進みつつあった平成時代の政治家達は健全な民主社会をリードしていく能力が欠乏し、官僚主導の政治すら機能しなくなっていた。ピーターの法則が示しているように、このような状態では政治主導の考え方が正しく導入されていく筈がなく、各の方面で停滞が進んだ。応用産業、基礎産業、科学技術、研究開発関連などを含めて全分野にその影響は現れた。世襲政治家を中心にした行政は、自らの利権を守るための政治を推し進め、次第に社会の状態を悪化させ昭和に確保した庶民の幸福を引き裂き、「社会の生活力や経済力」を弱体化し、世界における日本の地位を低下させてしまった。
科学技術力の低下や経済成長力の後退、国民の生活水準の劣化、社会の仕組みの弱体化、政治体制の陳腐化、デジタル化の遅れ、情報活用の考え方の不整備、医療体制の不整備、リスク管理体制の不整備、多様化の遅れ、貧富の格差、教育格差、性別格差、子供の貧困化問題、災害対応能力の不備、新興宗教による汚染、将来展望の欠如など、先進国としての遅れが顕著になり、閣議決定優先の思考が強くなり、国会軽視の傾向すら現れるようになった。その結果、国民の意思を重要視する民主主義の考え方が後退し、多くの若者が日本の将来に期待や夢が持てない状態に進んでしまった。
民主主義の基本である、国民の一票から始まり、国民の総意で決め、国民が一体となって行動し、国民みんなが幸福になる「みんなで築く社会造り」であった昭和時代の基本的な仕組みが崩れてしまった。これは民主主義社会の崩壊を意味する。隣国中国の共産主義の存在に騙されて悪用され、安易な富の増加や金銭への欲望、利益感覚に溺れた政治家達や経済人達は国の将来を展望できないまま、グローバル化の名の下に中国社会に依存する方向に経済を導いてしまった。これらの現象を単純に加速させた結果、中国は豊かになり、日本は貧しくなる状態に変化してしまった。
更に、国際環境の悪化とコロナ危機に直面して、現在の日本の防衛体制や防衛能力で国民の生命を守る体制が整っているのかどうかも疑問になり、多方面の課題を同時に解決しなければならない局面に追い込まれるようになった。今後、産業構造の問題や教育環境の問題などを含めて、これらの諸問題を社会構造の体質改革を推進する課題として捉え、計画的に検討を進める必要がある。
そのためには平成時代30年間の失政を反省し、現在発生しているパンデミックのリスク問題も含めて、適切に対応できる体制を早急に整備する必要がある。対策の計画・立案・実行には相当の期間が必要になるだろう。多くの組織や国民の協力が不可欠となるだろう。
これらの諸問題を解決していく能力を有する優秀な人材が政界や財界、一般社会に不足しているかもしれない。一部のグループや一部の仲間集団で達成できるものではない。多くの有能な人材、長い時間、一定の財力、弛まない努力の継続、多方面の人々の協力などが必要となる。これらの行動は21世紀以降の新しい文化を創成することに発展する。しかし、これらを推進する指導的な人材が現在の日本社会に存在しないのも事実である。
KMC学習所では、これらの問題に関連する話題を取り上げ、科学技術的な観点や情報技術的な立場から分析し、日本社会の構造的体質問題、経済成長と日本の産業構造の問題、デジタル化社会に関連する問題、デジタル教育に関する問題などについて、戦後復興に実社会で携わった一員として諸見解に触れ、考えてみたい。